詳しいプロフィール:その2

今回は詳しいプロフィール その2 をお伝えします!

こちらも長文になります…(-_-;)すいません。

軽井沢のクリニックに移るにあたって、今までにない不安を感じていました。それまで勤務していた病院では、まがいなりにもリハビリテーション部門の所属長で、院長に期待もされていたと思います。

軽井沢のクリニックには既に所属長がいて、わたしは一般職でしかありません。埼玉で働いていた時の上司に相談してもそういった部分で反対されましたし、家族は妻と小さな子どもが二人いて、住宅ローンもたっぷり残っていたのも大きかったでしょう。

安定した…、いや、安定しているだろう職場を放棄して、ヒトの身体をさらに探求したい、という衝動にかられた行動だったのです。

案の定、最初は大変でした。環境もガラッと変わりましたし、若い時よりも柔軟性が低くなっていたからでしょう。対応できるようになるまで思ったよりも時間がかかりました。また、リハビリは予約制だったため、2カ月ほどは暇な時間の方が多かったのです。しかし、その間は空き時間に色々な書物を読み漁りました。

理学療法士は 医療職であると同時に技術職ですから、常に新しい知識や技術のアップデートが必要なのですが、それまでは過去の経験に頼ってばかりで、あまり真面目に書物を読むこともありませんでした。ところが、勉強嫌いでも、興味があって、知りたい!と思えば、ヒトは自然に勉強するんだな、と思えた日々でした。

ちなみにその当時読んでいた本は医療系でもリハビリ系でもなく、
原子や元素、量子力学などについての書物でした(;^_^A
なぜなら、どうして痛みが出るのか?というような疑問を辿っていったら、ヒトの身体って何だろう?という疑問が湧き、さらにヒトってそもそも細胞の集まりだし、細胞って分子の集まりだし、分子って原子の集まりだし、で、原子ってそもそも何?といった具合に芋づる式に疑問が湧いて、それを解決するための書物を読んでおりました( ´艸`)

さて…

新しい職場では今までにない出会いも多くありました。

軽井沢という土地柄もあって、来院される患者さまもバラエティーに富んでいました。地元の農家の方から、別荘族の方々、都会から移住してビジネスをされている方など様々な方々と知り合うことで、自分の療法士としてのスキルも上がっていったと思います。

また、当時のクリニックは運営が学校法人で群馬にある理学療法士養成校が母体だったということもあり、就職した2010年から退職後も含め2021年まで養成校の非常勤講師として、4年制の3年生2クラス60名に前期後期の8ヶ月間(後半は後期のみ)週一回、理学療法士技術論という講義を受け持たせていただきました。当初はその内容も稚拙でしたが、毎年ブラッシュアップさせ、教えることで、むしろこちらが成長させていただく貴重な経験となりました。

軽井沢に移ってから特筆すべきことは、職場を変えて1年も経たずに東日本大震災が起こったことです。たまたまその年の1月、震災2ヵ月前に地域のセラピストを集めて勉強会を開催し、そのとき外部講師として招いた方が、震災直後に福島でボランティア活動を始めたことから、わたくしにもボランティアのお誘いがありました。


~2011年1月に外部講師を招いてセミナー開催~

 

それまでボランティア活動には全く無縁で、しかもあの未曽有の大災害の場に赴くなど想像もできませんでしたが、地元に既にボランティア活動をしていた後輩もいたので相談し、意を決して参加することにしました。

2011年の5月、宮城県石巻市内の公民館でリハビリボランティアとして体に不調のある方を集めて施術するという企画でした。外部講師をしてくれたセラピストと、その方が声をかけて来てくれた山口県からのセラピスト、そしてわたしの3人が仙台の高速道路上サービスエリアで合流し現地へ向かいました。

震災2か月後でしたから、道路はところどころ波打っていたり、自衛隊車両と渋滞とで石巻市に入るのも一苦労でしたし、市内は津波によって流された土砂や車、船などで大変な状況でした。何よりもリアルだったのは テレビなどでは感じえない、臭いでした。

海水が流れ込んでくることによって生じた磯臭さが特に印象的だったのです。

そして会場となる公民館には多くの方々が集まってくださり、予約を取って、出直してもらうといったシステムで施術を開始しました。

ところが…

来る人来る人が、想像を絶する経験をされた方たちばかりです。あちこちが痛いのはもちろんですが、海水に全身浸かったとか、ご家族を亡くしたとか、避難所は環境が悪く身体が冷え切っているとか、そんな訴えをお持ちの方ばかりでした…。

そんな皆さんにわたしが一体何が出来るだろう…と、完全に自信を無くしてしまいました。隣では師匠とも呼べるような療法士が施術をしており、プレッシャーもかかります…。

~石巻市の施術会場にて~

いったいどうすればこの方たちを癒すことが出来るだろう…

そんなこと出来るのか??

そんな極限状態まで追い込まれたとき…

【色々考え思い悩むよりも今ある自分の全てを出し切るしかない!】と

ある意味、吹っ切れた瞬間が訪れました。

その時、施術を受けていてくれた方は、たまたま東京で過去に専門的な施術を受けたことのあった方で、その方が突然「あぁ、脳脊髄液が流れてる感じがする~!」とおっしゃったのです。

脳脊髄液とは脳やせき髄などの神経が衝撃を受けないよう、また新陳代謝を促すために、神経の周囲に満たされている液体の事です。

これにはわたしも、隣のセラピストもびっくりです。

何かを与えることで、むしろ与えられる。

ボランティア経験がある方からは聞いたことがある言葉でしたが、まさにその時経験しました。

このある意味吹っ切れた感覚が、その後の臨床に生かされているのは言うまでもありません。

そして、この石巻でのボランティア活動はこの時施術を受けてくださった方がコーディネーターとなり、その後も何回か翌年1月まで続き、さらに2017年、2023年にも伺わせていただくご縁に繋がりました。

また、一緒にボランティア活動をしていた山口県のセラピストにもこの時のご縁によって、その翌年には山口県に招いていただき療法士向けのセミナー講師を務めさせていただくことになりました。

軽井沢のクリニックでは6年ほど働かせていただきましたが、今の施術のベースが出来上がった場所であり、素晴らしい経験をさせていただきました。

そんなある夏の午後、昼食後休憩しているときにクリニックの院長に呼ばれました。

知人が副院長をしている佐久市内の病院のリハビリテーション部門の所属長が不在となるらしく、人材を探しているので、小林君、3か月様子を見にだけでもいいからまずは行ってみてくれないか、とのことでした。

3か月様子を見て、他の後輩でも対応できるようなら君は戻ってきてもイイ、とのことでまずは様子を見にご挨拶を兼ねて その病院に伺うと、前任者は既に不在で、何人かの職員は病欠中、新人が一人いるだけでまさに立ち行かない状況でした。副院長にご挨拶すると、もう来てくれることが決まっているといった対応で、断ることが出来ないような状態でした…。

今いるクリニックとは真逆というか、外来患者さまはほとんどいない内科病院で、入院病棟には寝たきりの患者さまも多くおいでの施設でした。

しかし、心のどこかで
埼玉、佐久市内、軽井沢といくつかの施設の立ち上げやシステム改善に関わってきた経験もあり、何かお役に立てることがあれば、それも使命かもしれない…と思ってもいました。

実際、軽井沢のクリニックではその当時予約が一杯で、夕方の時間外に予約を入れて対応していたこともあり、このままでは体がもたない…と悩んでいる時期でもあったので、引き寄せというか、ある意味タイムリーではありました。

8月にそんな話が出て、11月には異動となりましたのでバタバタと去ることになりましたが、クリニックの院長のご配慮で、週一の非常勤でクリニックの担当患者さまも継続でき、養成校の講義も継続するよう次の職場には条件として提示してくださり、調整は最小限で済みました。

佐久市内の内科病院では一人病欠だった療法士が復職し、新人とわたしの3人で再出発をしました。

まだまだリハビリテーション部門の認知が組織内でされておらず、なかなかストレスフルではありましたが、この時わたしは軽井沢のクリニックの週一回の非常勤職員、群馬の養成校の非常勤講師、地域の療法士が集まって立ち上げた勉強会のメンバー、そして自分の持つ施術の技術を教えるコース制セミナーの講師など、マルチタスクを抱えており、立ち止まっている暇など無い状態でした。もちろん家庭でも子どもはまだまだ育ち盛りで色々と大変でしたし、地域の役員も何かと仰せつかり、今思うだけでもぞっとする忙しさでした。

さらに

勤務し始めて間もない内科病院の寝たきりになってしまった患者さんを目の前にして、やりきれない思いも抱えていました…。

実は理学療法士養成校時代に初めて行った現場実習が特別養護老人ホームで、寝たきりで意思疎通も出来ない方々のオムツ交換や入浴介助をする実習でした。

そこで感じた衝撃は今でも忘れられません。

詳細は省きますが、意思疎通が出来ない方々にリハビリをするのは自分には無理だ。とその時感じました。それが理由で、それから先の実習は整形外科分野が主でしたし、就職先もその分野に絞って選択していました。ところが、それから15年以上経って、目の前にはそういった意思疎通が出来ない患者様が一定数おいでになりました。

なんの因果か、というか、これもご縁であり、なんらかの意味がある、と考えていました。

そして、なんで、このような寝たきり状態や認知症状態になってしまうのか?

と考えるようになりました。

多くの患者様が脳梗塞などの脳血管障害や認知症を合併していましたので、その原因の原因を辿っていくと、わたくし個人の当時の見解だと、食生活にその多くが起因しているのではないかと考えられました。

そこで、それからは日々のマルチタスクに加えて、食生活が脳血管障害や認知症に影響を及ぼす可能性について自分なりに学んでいきました。

数ヶ月経ってある程度その理由付けが個人的に明確になってきたかな…と思った頃、自分もどこか不調を感じるようになりました。

詳しくはこちらをお読みいただけるといいのですが、結果的に病院に勤務していながら、大きな病気もケガもしたことの無いような人間が、よりによって急性骨髄性白血病になってしまったのです…(;’∀’)

しかも10万人に数人という確率で発症する白血病の中でも、さらに1%に満たない 厄介な難治性の白血病とのことでした…。

いま思えばずいぶん昔の事のように感じますが、当時はやはり…臍帯血移植に加えて、抗がん剤治療を6か月の間に4回ほどやりましたし…、移植後の拒絶反応と、抗がん剤の副作用と…、1日8回に分けて何種類も服薬し何種類も点滴し、それぞれの副作用と…、痛み止めにモルヒネも使用してましたから…、 それなりに壮絶でしたね…。

もちろん今となっては、セラピストとして必要な時間だったとは思います。

自分自身が患者側からの視点を得ることが出来ましたから、この経験は大きいですね。

さらに真剣にリハビリに取り組む必要もありましたから。

~病棟で今一番の点滴数ですよ!とナースにからかわれた?ときの点滴たち~

自宅療養を半年した後、なんとか無事職場復帰を果たしたものの、体調を崩しやすくもなりましたし、あちこちの痛みも抱えていましたし、何よりも体力的に、あぁ、何とか元通りになったな… と思えたのは退院後3年以上経ってからでした…。

復帰後一年で世の中はコロナ禍に突入しましたが、自分自身がままならない状態でしたので、語弊を恐れず言いますと、コロナ自粛なるモノも、わたしにとっては必要な時間でした。

それまでは非常勤先の患者さま、非常勤講師先の学生さん、セミナー受講者の皆さん、そして自分の病院に来る患者様や入院患者様…。そういった皆様の、ある意味人生の一ページを担うわけで、たった一人のわたくしの力を分散させなければいけなかったことに気付かされました。

復帰後の体力不足と世界的なコロナ自粛の時期が重なったことで、外部活動はほぼ中断となったことで、わたくしは職場に居る目の前の患者さまだけに集中でき、体力の消耗も最小限に抑えることが出来たのです。

これが本当に今思えば意味深くてですね。

抱えているタスクが色々とあり過ぎて、実際の時間は余裕があっても心に余裕がなかったのですね。コロナ自粛と重なってタスクが激減したことにより、精神的にゆったりと入院患者さまにも向き合うことが出来ました。その結果、寝たきりや認知症によって、もう改善が見込めないような方にも施術によって変化する可能性を見出すことが出来ました。

入院患者さまは担当制でしたが外来患者さまは内科受診のついでにリハビリに来られる方がほとんどで、手の空いている療法士がランダムに対応するというシステムでした。同僚の要望もあって2021年には予約、指名制に変更し、自分の施術を受けたいという方が紹介で来てくれるようになり、人数も徐々に増えていきました。

結果的に外来、入院患者さまとも、以前に比べると段違いに充実した気持ちで対応できるようになりました。

そういった中で、日々セラピストとして成長させていただいている実感がありましたし、手応えも感じていきました。

そこで、以前から心の奥底に潜んでいた想いがフツフツと大きくなっていったのです。

自分が創り出した ”場” で時間やその他の雑務に追われず患者さまと向き合いたい。

確かに保険診療の元で働かせていただけるのは、患者さまにとっては金銭的にも、医師や看護師など専門家が集まっている医療機関であるというメリットや安心感もあります。

でも本当にそれでいいのか?

という思いもありました。
場の雰囲気であったり、セラピスト側の心理であったり、時間的な制約であったり

本当の意味で、患者さまの自然治癒力を発揮させつつ、より施術の効果を向上するのには、病院という環境が難しい場合もあるように感じます。

一番の理由は、時間、でしょうか。
しっかりとある一定のところまで身体のバランスを整える、という基準が自分の中に芽生えてきたからだと思います。
そしてそのためには、保険診療下で一般的に与えられる時間、20分~40分というリハビリテーションに与えられた時間では足りなかったのです。

そういった想いもあって、この研究所を開設しました。

もちろん、保険診療下で働くセラピストのスキルが向上し、よりそういった場に訪れる患者さまが改善していくことにも貢献したいと考え、後輩育成のためのセミナーを2024年度からOpen Heart 軽井沢さんのご協力も得て開始します。

以上

大変長くなりました…

詳しいプロフィールを終了とさせていただきます!

稚拙な内容でお恥ずかしい限りですが、どんな経緯でわたくしが
いまここに居るのか、お伝えしたくて長々と書かせていただきました…。

ここまでお読みいただき、有り難う御座いました!!